僕は知らなかった 分からないことの多さ (福島調査報告)

2014年9月20日から23日まで、竹峰先生のもと福島大や福島出身の学生ら地元の方も交え、3グループに分かれ、福島県内で聞き書き調査を行った。

p.3 福島1

 

百聞は一見にしかずと言うが、百聞に勝る一聞は存在すると思う。福島での聞き取り調査は、僕にとってそのような体験だった。

原発の恐ろしさは知ったつもりだった。しかし、福島で感じたことは、予想を超える原発事故後の影響の大きさだった。僕たちのグループは原発周辺と言うより、そこから60km以上離れた福島市内に住む人達にお話を聞かせていただいた。そこで聞いた人々への影響は、僕のまったく知らないことだった。

原発の恐ろしさは放射能の身体への影響もそうだが、それと同じくらい人々の心にも深く影響があることがわかった。人体にどんな影響があるのか分からない不安、なにが安全でなにが安全でないかが分からない、食べ物への影響はどうなのかなど、その他いろいろ心配が付きまとってくる。

また人々の人間関係にまで影響があることも知った。福島から避難した人は、「逃げた」と言われ、逆に避難しない人は「こんな危険な場所で子どもを育てるのか」とも非難される。また除染が進む中、もう放射能の話ができない、しにくいということもあるようだ。

最も衝撃だったのは、放射能の話ができないから、洗濯物を外に干すか干さないかで、放射能に対するその人の考え方を判断するという話だった。放射能は怖いけど、みんながもう話さない、忘れようとしているので、自分から話すことはできない。「まだ気にしているの」と聞かれることを恐れているのだろうか。直接的な目に見える被害だけでなく、人々の心や人間関係がこんなに影響を受けているなんて、僕は知らなかった。

新たに知れたことはあったけど、僕が一言で語れるほど、この問題は単純ではない。何が分からないのか、分からない状態から、少し分かったが、その結果、まだ分からないことの多さに驚いたと言うのが正しい気がする。

p.3 福島2-1

 

僕に何が出来るかも分からない。でもとりあえずお話をしてくれた方々のため、そして自分自身のためにも、この聞き取り調査をまとめなければいけない。その上でもっと理解をしていくべきなのかもしれない。原発はやはり人間が制御出来るものではないと思う。

(3年 野間渉)

東和(とうわ)――僕がもらった「ゆうき」

僕たちのグループは、福島県二本松市に位置する「東和」という地区に訪れた。かつて東和町だったが、平成の合併で二本松市となり東和は地図に載らなくなった。しかし住民の間で東和は生き続け、NPO法人「ゆうきの里東和ふるさとづくり協議会」などの地域活動が行われている。

東和で「震災による農家の現状」をテーマに調査を行った。福島大の学生を含め大勢の人と一緒に関わり調査が出来て楽しかった。お話を通して最も感じたのは「東和の強さ」だ。そこに暮らす人々は震災に負けずに立ち上がる気概を持っていた。地域コミュニティで団結力を築き、ない物をねだるより、ある物を磨き、独自の観点をもち地域活性化につなげる柔軟さ、そんな東和の魂に僕は感銘を受けた。

若い起業家であり農業で福島の魅力を発信する菅野(すげの)瑞穂さん、自由な雰囲気で地元産のワイン造りを新たに始めた齋藤誠治さんと関元弘さん、「東和といえばこの人」と地元で呼ばれ、風情が残る広い家に住む安部千代さん、有機野菜を使いイタリアンを振る舞って下さった農家民泊の武藤一夫さんに、僕たちは話を伺った。

 

家の真後ろの土地が、放射線量の高い土の仮置き場として利用され、安部千代さんはそれが本当に「仮」なのか、このままずっと置かれ続けるのではないかと疑っている。そうした厳しい話もうかがったが、東和に来て不思議と僕は元気になった。それはきっと皆さんが目を輝かせて話す姿を見たからだろう。

東和で見たたくさんの金色の稲穂を僕は忘れられない。夕日に照らされた田んぼが一面金色に染まる壮大さに思わず声を上げた。そんな稲穂たちが、東和の人たちを象徴しているように感じた。

帰りの電車の中で、安部さん夫婦とともに玄関前で写真を撮ったことを思い出した。撮影後に千代さんは隣に座っていた僕に声をかけてくれた。「がんばってね」「はいがんばります!」。東和の人たちは、厳しい現実がありながらも、「未来」を向いている。それが訪れる人たちに勇気を与えるのだろう。東和「ゆうきの里」とは、そんな場所なのである。

(3年 加藤将也)

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