【Vol.62】
2012.5

民主主義とポピュリズム

服部 裕


民主主義における政治リーダーのあり方

「決められない政治」あるいは「ぶれる政治家」などというように、昨今の日本では、国政を預かる既成政党の政治に対する批判が高まっている。所謂政治不信であるが、民主主義の場合、極度の政治不信は往々にしてポピュリズムを引き起こすことがある。それは、国民大衆が国難にあっても決断できない既成政治を見限り、より単純明快な主張を掲げる所謂「強いリーダー」を待望する社会心理に支えられるのが一般的である。

昨今の日本の政治状況で言えば、大阪市長や東京都知事に対するリーダー待望論が、その代表的な事例である。「物事を決められない政党政治」にはもはや何も期待できないので、より決断力と実行力があるように見える地方自治体の首長に大きな期待が寄せられるという図式である。実際に、領土問題が取りざたされている小さな島をある地方自治体が購入するとか、全職員に入れ墨の有無を問う調査を実施したりとかという行政手法が示すとおり、そのトップダウン式のやり方は、政府内、与党内そして国会と合議を重ねて物事を決定する国政のやり方に比べて、かなり歯切れの良い「強いリーダー」のイメージを演出していると言える。

では、なぜ地方自治体の首長はより強力なリーダーシップのパフォーマンスを演出しやすいのだろうか。その答えは、中央政府と地方自治における権力の委任形態の違いにあると考えられる。簡単に言えば、地方自治体の首長が住民の直接投票によって選出されて行政府を構築するのとは異なり、中央政府の長つまり内閣総理大臣とそれが任命する諸大臣は国民が直接選出することができないということである。後者が議院内閣制に基づく一方で、前者は言わば「大統領制」に近い権力委任の形態を取っているのである。したがって、政策実現の成否はともかくも、アメリカの「大統領」に近い首長は行政の執行権(予算や人事、さらには専決処分権等々)と議会決議に対する拒否権および事実上の法案請求権を握っているのに反して、内閣総理大臣はまずは閣議(その背後には行政専門職としての官僚が目付役として存在する)、そして与党の合意なくしては、議案の一つも国会に上程することができない。本来、原理的には大統領(首長)の権限と議会の権限が分立し拮抗しあう「大統領制(=二元代表制)」の方が、民意が一元的に委任される「議院内閣制(=一元代表制)」より、国民からの権力の委任は曖昧なはずなのに、上述のように首長が強い行政権を所有するため、見た目の政治的リーダーシップは地方の首長の方がより強く見えるのである。

つまり、昨今の内閣総理大臣のリーダーシップ欠如は、実は戦後の民主主義国家としての日本の政治構造そのものに由来していると考えなければならない。現在の野田総理大臣のみならず、戦後の歴代総理は党派の別なくみな多かれ少なかれ調整型のリーダーであり、強力なトップダウンなど誰一人実行できなかったと言える。(比較的明確なリーダーシップを発揮しようとした田中角栄のような総理大臣は、道半ばで失脚の憂き目を見ている。弱い党内基盤にも拘らず長期政権を実現した小泉首相だけが、例外的に国民の人気を支えに強力なリーダーシップを発揮したポピュリスト的首相だったが、その政治力は「郵政民営化」だけに限定されていた。)

しかし、大統領的な性格を有する首長と雖も、みながみな大阪市長や東京都知事のように強面のリーダーとはなりえない。強いリーダー像を演出するには、もちろん並外れて強烈なキャラクターが必要であろうが、キャラクターだけで政治的リーダーシップを発揮できる訳でもないからである。マックス・ヴェーバーが民主制下の「政治家」を「デマゴーグ(民衆煽動家)」という言葉で定義したように(『職業としての政治家』)、言葉で闘う政治リーダーにとっては、攻撃的かつ打たれ強い性格は必須アイテムである。しかし、そうした煽動家としての強い性格だけでは、強いリーダーにはなれない。強い個性は政治行動を持続させるための基盤でこそあれ、政策を実現するための決定的な資質あるいは政治能力ではない。ヴェーバーが使用した「デマゴーグ」という定義は政治家の性格を言い当てただけではなく、民主主義における政治リーダーに求められる必須の資質と能力を明らかにしていると理解しなければならないのである。それは、「デマゴギー」つまり政治的言説によって民衆を煽動する力(よく言えば、民意を結集する力)こそが、民主主義社会のリーダーに不可欠な資質だということを意味している。

民主主義とポピュリズムの境目

以上のように考えると、民主主義とは言葉巧みな政治家による民衆の「言論操作」あるいは「言論的搾取」のようにも見える。基本的にはそのとおりである。民主政治の構築と執行という局面における政治家と国民大衆との関係、および両者間の手続のあり方に関して見れば、「民主主義」と「ポピュリズム」に本質的な違いはない。

しかし、それにも拘らず、政策実現の局面では両者の間には天と地ほどの違いが生ずる可能性がある。民衆が政治リーダーらの言葉を信じて権力を委任した結果、図らずも大多数の民衆に不幸がもたらされたとき、人々はそれを「ポピュリズム」と呼ぶことに疑問を持たないだろう。つまり、民主主義とは主権者である国民の幸福を追求する方法論であるから、民意として選択した権力者およびその政策が自らの不幸につながったとき、国民はそれをもはや健全な民主主義と認めたくないからである。そのような状況のとき、主権者としての責任を負おうとしない民衆は「政治家に騙された」と嘆き、(自らが招いた)ポピュリズムの責任をポピュリストである政治リーダーたちに転嫁しようとするはずである。

果たして、そのような責任転嫁に妥当性はあるのだろうか。結果を見るまで、それが健全な民主主義なのか、あるいは誤った判断としてのポピュリズムなのかが分からないというのは、いかにも無責任な話である。国民自らに自由な判断が許されている政治社会体制であるならば、結果を見てから民主主義とポピュリズムを区別する態度はいかにも愚民的態度であると言わざるをえない。

民主主義とポピュリズムの間に、手続的に決定的な違いがないことはすでに述べた。違いは政治的な結果であるが、民主主義における最終的な結果責任は、実は政治家にではなく、主権者である国民に存するのだ。つまりポピュリズムは、偏に主権者である国民自身の間違った判断がもたらす政治状況であると言える。君主制や階級社会における非民主的な政治状況であるなら、民衆は権力者に騙されたと呪詛する(あるいは、それが高ずれば革命を起こす)しかないかもしれないが、言論の自由に基づく普通選挙を基盤にした民主主義体制においては、民主主義を貫くもポピュリズムに堕するも、専ら私たち国民の判断に委ねられているということである。

独裁を招いた究極のポピュリズム

以上、民主主義とポピュリズムとの類縁性および本質的な相違について、いささか抽象的に述べてきた。以下は今日の日本社会のポピュリズム的状況をより明確に把握するために、歴史的事例を挙げて改めてポピュリズムの本質について考えてみよう。

人類史上典型的かつ最大のポピュリズムは、アドルフ・ヒトラーに独裁権を与えたドイツ国民の政治判断に拠るものだった。ヒトラーは1933年1月に権力を奪取すると、自らが仕掛けた世界大戦に敗北する1945年5月までの12年間、ドイツを名実ともに独裁支配することになる。それは、結果的には暴力と武力にものを言わせる独裁であったが、政権および独裁権奪取までの経緯が、実は極めて民主的な手続を踏んでいたという事実は、あまり知られていない。

ドイツにおける普通選挙の導入は意外と早く、19世紀後半のドイツ帝国時代にさかのぼる。もちろん、不完全とは言え民主的な政治が実現するのは1919年以降のワイマール共和国時代であるが、ヒトラー率いるナチ党(国家社会主義ドイツ労働者党)が登場するのは、まさにそのワイマール共和政期であった。ナチ党は当初、武力に頼るクーデターを企てたが、それが完全に失敗すると、(恒常的に国民から一定の支持を得ていた左翼勢力に対抗するために潜在的な暴力性を維持しながらも)地道な政党活動によって国民の支持を獲得することを目指すようになる。

しかし、1928年5月の総選挙までは得票率2%台と低迷し、国民の支持を広げることはまったくできなかった。そうしたなか、1929年の世界的な金融恐慌が、ヒトラーに大きな好機をもたらした。金融恐慌後の1930年9月に実施された総選挙で、ナチ党は一挙に18.3%の支持を獲得したのである。ちなみに、当時のドイツの政治状況は小党乱立にあった。28年5月の選挙結果を受けて樹立された政府は、左翼のSPD(社会民主党、158議席)と保守派のDVP(ドイツ人民党、45議席)、有産階級を支持母体とするZentrum(中央党、62議席)、DDP(ドイツ民主党、25議席)ならびにBVP(バイエルン人民党、16議席)による大連立政権であった。それ以外にも十をこえる小党乱立の政治的混乱状況のなかで、ヒトラーは政権公約を「失業問題解消」と先の世界大戦の敗戦で「喪失した民族の誇りの回復」の二点に絞ることによって、単純明快な選挙キャンペーンを展開した。また、分かりやすい選挙公約と共に力を入れたのが、「強いリーダー」をアピールするための大々的なイメージ戦略であった。

ヒトラーは金融恐慌による不況に対して「何もできない」既成保守政党の無力ぶりを批判すると共に、左翼勢力の脅威を煽る一方で、自分なら「強いリーダー」として「強いドイツ」を復活することができると、さまざまな広報メディアを駆使して単純明快な言葉を使って訴えた。その結果が1930年の総選挙での躍進であり、さらには32年7月の総選挙での37.2%の得票であった。この選挙で比較第一党となることによって、ヒトラーは政権奪取を現実のものにしたのである。

1932年11月の選挙でも、ナチ党は33.0%を獲得し比較第一党の立場を守ったが、同時に左翼勢力も社会民主党20.4%(28年は29.8%)、共産党16.8%(28年は10.6%)というように相変わらず高い得票率を維持していた。つまり、ワイマール共和政末期は、資本家等の有産階級を支持母体とする中央党以外の中小の保守政党と、政権に関与してきた左翼勢力の社会民主党から一部の支持を奪ったナチ党と左翼勢力が拮抗する政治状況であったと言える。こうした政治的混沌にあってナチ党の33%の得票率は無視できない勢力であるという事実と、共産主義の脅威は相変わらず存在するという恐怖感が、中央党を初めとする保守政党をナチ党との連立に走らせたのである。

以上、非常に複雑かつ微妙な政治勢力の分布状況について述べてきたが、いずれにしても大衆の心を掴んだのは、既成政党にない「強いリーダーシップ」を表現したナチ党だった。たった四年の間に、得票率を2%台半ばから30%を上回る数字に押し上げた事実は、国民のナチ党への熱狂的な支持が生じたことを意味している。つまり、ここで改めて強調したいのは、さまざまな政治状況が複雑に絡み合ったとは言え、その後独裁体制を構築したヒトラーのナチ党は実は民主的な選挙によって権力を奪取したという事実である。そして、その背景には有権者のポピュリズム的熱狂があったことを忘れてはならない。

ヒトラー独裁を可能にしたもう一つの要因も、実は民主的な手続に基づいていた。1933年1月に合法的に宰相に就任したヒトラーは、早くも同じ年の3月には議会に所謂「全権委任法」を上程し、合法的な手続に基づいて可決成立させたのである。「全権委任法」とは、政府に四年間の期限付きながら、議会の承認なしにすべての行政執行権を与えるというものである。つまり、時限付きとは言え、政府、つまりはヒトラーに独裁権を付与するという法律である。ヒトラーはこの独裁法案を三分の二以上の賛成を得て可決させた、つまり民主的な議会において合法的に独裁権を獲得したのである。その背景には、33年3月の選挙において、ナチ党が43.9%の得票率を得た事実がある。絶対過半数こそ獲得できなかったものの、議会において「独裁権」を要求するのに十分な国民の支持だったということである。(「全権委任法」可決後、ヒトラーは合法的に議会の停止や労働組合の禁止等々の政策を実施することで民主主義を廃止し、自らの死まで時限を切らずに究極の独裁体制を敷いた。)

民主主義とポピュリズムの狭間にある民意

以上見てきたとおり、ヒトラーの独裁は民意に基づく民主的な手続によって現実のものとなってしまった。この歴史的事実は、民主国家に生きる私たちにとって極めて大きな教訓である。つまり、ファシズムやそれに類する全体主義的体制は、必ずしも民衆を抑圧する暴力装置だけがもたらすものではないということである。言い換えれば、私たちの自由を制限するファシズム的体制は、実は国民自身の自由な判断、つまり民主的な選挙によってもたらされる可能性が大いにあるということである。結果として社会の構成員である個々人の自由と平等なる権利、つまり基本的人権を侵犯する政治権力を、国民自らが進んで選択する政治状況こそがポピュリズムの本質なのである。

思えば、所謂バブル経済崩壊後の日本の調整型統治形態の行き詰まりのなか、党内の支持基盤に拠ることなく、国民の熱狂的な支持だけに権力の正統性を求めた小泉首相は、近代日本の政治史上初の「大統領型」ポピュリストだったと言える。単純明快な「劇場型ワンフレーズ・ポリティクス」は、ポピュリストに共通する政治手法でもある。しかし、ポピュリストの登場が即ちポピュリズムの台頭を意味する、と考えるのは拙速である。民主主義とポピュリズムの境目は、直接国民に訴えかけるポピュリストの政策が、広く国内外の社会の福祉に寄与するものか否かの狭間にあり、それを判断するのは国民自身であるということなのだ。一つだけ確実に言えることは、ヒトラーの場合がそうだったように、ポピュリストが仕掛ける「熱狂」は国民にとって冷静な判断を誤らせる大きな危険要素であるということである。先のフランス大統領選挙の第一回投票でフランス国民戦線のマリーヌ・ルペン党首が、経済不況と失業問題の元凶を移民に押し付けて、国民の偏狭なナショナリズムを煽ることによって18%という高い得票率を得たことを、フランスや他の欧州諸国の政治学者たちはポピュリズムの台頭と看做している(5月8日付け朝日新聞参照)。近代民主主義の発祥の地でありながら、ナチズムという究極かつ最悪のポピュリズムを経験したヨーロッパの専門家はさすがに慧眼である。裏を返せば、民主主義には常にポピュリズムの危険性が潜んでいるということなのである。

私たちが自分たちの幸福のためにより良質の民主主義を実現するか、あるいは自らと他者の自由と平等なる権利を奪うポピュリズムに陥るかは、偏に私たちに付与されている権力委任権、つまり選挙で如何なる民意を形成するかにかかっている。「決断する政治」を標榜する「強い政治リーダー」の歯切れのよい政治姿勢と独善的な政策が、本当に私たちの民主主義を育むものなのか、それとも民主主義を破壊する排他的なポピュリズムにすぎないのかを判断する責任が、主権者である私たち自身に委ねられていることだけは確かである。願わくは、私たち主権者が「愚民」に堕することのないように!