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DEPARTMENT OF JAPANESE & COMPARATIVE CULTURE
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服部ゼミ(日独比較文化、独文学)
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教員/ゼミ紹介
前田ゼミ
前田雅之 教授
(中古・中世文学・和歌文学)
シラバス


博士(文学)
早稲田大学大学院文学研究科日本文学専攻博士後期過程単位取得退学(1987年)
説話文学会委員 仏教文学会会員 中古文学会会員 中世文学会会員

研究の紹介
私自身が国文学者としての自己を自覚したのは、それほど早くない。大学時代は、授業そっちのけでインドに夢中になって、ヒンディー語やサンスクリットを齧ったり(ものにならず)、他方、文化人類学などにも手を出したり(やはりものにならず)と、それなりに楽しかったけれども、自分が何を目指しているのか、暗中模索の日々を過ごしていた。要するにぶらぶらしていたのである。卒業論文は、日本に伝来したインドの説話(一角仙人)の系譜を追っかけたものとなんとかでっちあげた。
大学院に入ってからは、一角仙人説話を最初に載せている『今昔物語集』を対象と選び、これをなんとかまとめたのが『今昔物語集の世界構想』(1999年)である。この間、10年以上、それなりには勉強はしたものの、国文学者として生きようとはまだ思っていなかった。
だが、今風にいえば、国家主義と仏教原理主義が一体化している『今昔物語集』をいじっているうちに、インターナショナリズムとナショナリズム、天皇と公共圏といったこれまた非国文学的な問題群に関心が移っていき、そこから、反転して国文学者としてそもそも日本とは何か、古典とは何なのかを真剣に考えるようになった。人の運命はどこで変わるか分からない。その一端を示したのが『記憶の帝国 【終わった時代】の古典論』(2004年)である。
現在は、和歌・古典によって作られた中古・中世の古典的公共圏を解明することがライフワークであり、具体的には、和歌の諸相、古典注釈、古典的書物の流布・展開、さらに古典知と命名した前近代の思考認識システムを追究している。遠回りしたことも存外悪くないと思っている。
学生へのメッセージ
私の好きな思想家であるカール・シュミットはこのような言葉を残している。「知的廉直さに価値があるとすれば、幻想の破壊は最大の収穫である」。これを分かりやすく言い換えれば、学問の価値とは、これまでそうだと信じられていた学説や常識を破壊することしかないということだ。これほど学問なるものの意味を解き明かしたことばはないだろう。諸君らも卒業論文などで「幻想の破壊」に果敢にチャレンジしていただきたい。
だが、「幻想の破壊」は言うほど簡単ではない。そのためには、素直な気持ち、素朴な疑問、先人への敬意を持ち続けることが不可欠である。単なる破壊は何も生み出さないからだ。大学とは、諸君らがよりよい「幻想の破壊」を行って、自立するための手助けをする場所である。私も諸君らを挑発しつつ、かつまた諸君らに挑発されつつ、共に学問の楽しさ(厳しさも)を味わいたいと念じている。

業績紹介・著書紹介
『古典的思考』(2011) 『記憶の帝国』(2004) 『〈新しい作品論〉へ〈新しい教材論〉へ』(2003)
   
『今昔物語の世界構想』(1999)    
[著書]
『古典的思考』(笠間書院、2011)
[著書]
『記憶の帝国』(右文書院、2004年)
[編著書]
『〈新しい作品論〉へ、〈新しい教材論〉へ――文学研究と国語教育研究の交差』古典編1〜4(右文書院、2003)
[著書]
『今昔物語集の世界構想』(笠間書院、1999年)
[論文]
僧侶の恋歌(2)勅撰集編(中)――八代集(『後拾遺集』〜『詞花集』)所収歌の表現分析 2011
[論文]
古典的公共圏と他者 2010
[論文]
僧侶の恋歌(1) 勅撰集編(上) 2010
[論文]
反動的な古典との出会い方のすすめ 2010
[論文]
『源氏物語』はどのように注釈されたか――『花鳥余情』の力学 2009
[論文]
三国の変貌――普遍と個別の反転現象をめぐって 2009
[論文]
放り出された「古事」―『古事談』と古典的公共圏 2008
[論文]
和語を和語で解釈すること―一条兼良における注釈の革新と古典的公共圏 2008
[論文]
説話文学の魅力を探る―その黎明期から盛行期まで 《古本説話集》―書名・編者名不明の説話集 2007
[論文]
井上毅と北村透谷―「近代」と「東洋」の裂け目から 2006
[論文]
記憶・連想・アナロジー―前近代日本における古典知の回路 2006
[論文]
書物と権力論序説―「下賜」・「進上/献上」の文化=政治学 2006
[論文]
文学は「教科書」で教育できるのか 2005
[論文]
「鬼神」と「心正直」―中世太子伝の蝦夷形象をめぐって 2005
[論文]
パラダイムとしての仏教―『源氏物語』と天台教学 2005
[論文]
慈覚大師円仁『入唐求法巡礼行記』―行記・求法・巡礼・信仰 2005
[論文]
日本意識の表象―日本・我国の風俗・「公」秩序 2005
[論文]
三国思想の成立と日本海 2004
[論文]
藤壺密通事件をめぐる言説と注釈―それははたしてタブーだったのか 2004
[論文]
中古・中世における「日本意識」の表象―和歌・〈日本〉・起源 2004
[論文]
政治神学と古典的公共圏―パウロ・空海・和歌 2004
取材メモ:前田先生の横顔
前田先生はとても話好きだ。そしてまた、その話が面白い。それは小学校のときに「どうせ死ぬんだから好きなことをしよう」と思ったという個性的な思考と、豊富な社会経験からきているものだろう。先生は高校2年まで、防衛大学校へ進学し参謀になろうと考えていた。しかしある日その考えが一変する。「役に立つことを一切やめよう」と思うようになったのだ。役に立たないものの究極はインド哲学だろうとの見解から、インド哲学科を受験する。が、合格したのは第二志望の役に立つ国文学科だった。
もし研究者になっていなかったら?という質問に対し、「博士課程に進んだ時点で研究者のほかに道はないんです」と前田先生はきっぱり答える。結婚を機会に高校教師になろうとしていくつかの採用試験を受けてはみたが、「あなたはドクターコースに進んでいるからどうせ腰かけでしょう」と、ことごとく断られてしまったというのだ。「修士課程までなら高校教師や就職もできるけれど、30歳を越えてしまえば研究者になるのが必然でしょう」と笑う。
前田先生は古典文学(特に和歌・古典注釈)が専門だが、ゼミでは間口を広げているのでギリシャ神話をやろうかなという人をはじめ、学生たちはそれぞれ興味のある領域を研究している。前田ゼミは徹底して学生主体で展開されている。「人は勉強をはじめると自分の愚かさに気づいて謙虚になってくるんです。何かを考えるということは、今までの考え方を壊すこと。その面白さに気づいてもらいたい」というのが前田先生の考えだ。
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