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DEPARTMENT OF JAPANESE & COMPARATIVE CULTURE
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青山ゼミ
青山英正 准教授
(日本近代文学・日本近代文化・日本近世文学)
シラバス


博士(学術)
東京大学大学院総合文化研究科言語情報科学専攻博士課程単位取得退学(2007年)
日本近代文学会、日本近世文学会、和歌文学会、日本文学協会所属

研究の紹介
現代の私たちは、「詩」や「詩的」という言葉を当たり前のように使っていますが、実は、「詩」という言葉を日本人が現代に近い意味、すなわち英語のポエトリーに相当するものとして使い始めたのは、近代の始めの頃、たかだか百数十年前のことでしかありません。それまでは、詩と言えば漢詩を指していました。つまり、「詩」や「詩的」という言葉の持つ意味は、歴史の中で変化してきているのです。
私の研究は、近代の初期に日本人がどのような期待を込めて、西洋のポエトリーを「詩」(当初は、「新体詩」と呼んでいました)として輸入したのか、そして、その時に形作られた近代的な「詩」という概念は、後にどのように変化していったのかを、当時の政治や社会、文化なども見据えながら歴史の文脈の中で解き明かすことを目指しています。
ただ、この問題をきちんと考えるためには、日本の伝統文芸である和歌や漢詩が、前近代の人々にどのようなものとして認識され、そこにどのような期待が込められてきたのか、という問いにも答えておかなくてはなりません。したがって、前近代の末期から近代初期にかけての和歌(近代になると「短歌」と呼ばれます)・漢詩・近代詩(新体詩)などを、1つ1つのジャンルにこだわることなく横断的に考察するということが、私の当面の課題です。
学生へのメッセージ
「我が畑を耕せ」という言葉があります。フランスの思想家・ヴォルテールが書いた『カンディード』という小説の中で、それまでさんざん悲惨な目に遭ってきた主人公が、最後にたどり着いた境地を表現した言葉です。「我が畑」とは、どこか遠くにあるのではもちろんなく、今自分自身が立っているその場所のことです。
この言葉は、私が常に自分自身への戒め(あるいは励まし)として頭の片隅に置いているものですが、皆さんも、今自分の置かれている環境、今自分が好きだと感じていること、それらを深くしっかりと「耕」していって欲しいと思います。「でも、自分が好きなことは、文学・言語・文化とは結びつかない気がする」と言う人も中にはいるかもしれませんが、大丈夫です。音楽でも、漫画でも、アニメでも、お笑いでも、全ての物事を深く突きつめると、必ずと言っていいほど文学や言語、そして文化の問題に行き着きますから。
皆さんの「畑」をより豊かなものにするために、私もベストを尽くしたいと思います。
業績紹介・著書紹介
『パリ1900年・日本人留学生の交遊――『パンテオン会雑誌』資料と研究』
(ブリュッケ、2004年)
『言語と文学』
(朝倉書店、2009年)
『創発的言語態』
(東京大学出版会、2001年)
   
『太宰治研究19』(2011)
   
[著書]
パリ1900年・日本人留学生の交遊――『パンテオン会雑誌』資料と研究(共著) 2004
[論文]
反転する〈健闘〉――太宰治「このごろ」論 2011
[論文]
宮沢賢治「注文の多い料理店」論――猟師・犬・団子への着目 2011
[論文]
連鎖する志――安政の大獄における〈義民〉の詠歌 2010
[論文]
幕末志士の歌における忠誠の表現と古典和歌――言葉からのアプローチ 2009
[論文]
『新体詩歌』の出版を支えた人々――未紹介資料と諸本調査をもとに 2009
[論文]
和歌の教訓的解釈についての史的研究――中世から近代へ 2008
[論文]
仙台の和学者・保田光則の文業――和歌と教化活動を中心に 2007
[論文]
振気から教化へ――勤王志士詩歌集のゆくえ 2006
[論文]
教導職の万葉選歌――堀秀成『名教百首』を中心に 2006
[論文]
幕末の歌集と教化――『明倫歌集』の編纂とその意義について 2004
[論文]
『新体詩抄』と明治初期の「歌」 2001
[論文]
『新体詩抄』の思想と文体 1998
[その他]
オランダ国ライデンを中心とするシーボルト関係日本書籍資料の調査研究(国際連携研究) 2010
[その他]
リプリント日本近代文学162 新体詩歌 2009
[その他]
リプリント日本近代文学161 新体詩抄 2009
[その他]
リプリント日本近代文学196 長歌改良論弁駁 2009
[その他]
リプリント日本近代文学85 新体詞選・自由詞林 2007
取材メモ:青山先生の横顔
青山先生が詩に興味をもったのは、高校の国語の教科書に載っていた萩原朔太郎の一篇の詩だった。大学で詩を専攻したのも、詩の世界をもっと知りたいと思ったからだ。しかし、その解釈は人によってそれぞれで、作家本人もすべて意識して書いているのか、そうではない部分も表現されているのか、いくら読んでも正しい解釈にたどり着かないのが詩であるともいえる。勉強すればするほど詩が何であるのかわからなくなってしまい、青山先生は大学院でさらに深い部分を研究したいと思うようになった。
ゼミでは、みんなが自由に意見を交換し合える雰囲気を大切にしていきたいと青山先生は語る。詩を読むということは、明確な答えを導き出すのではなく、そこにある何かを感じること。みんなで同じ詩を読み、それぞれが感じたことを言い合うことによって、1人で読んでいてはわからなかった詩の魅力や面白さが滲み出てくるものなのだという。だから、明るい人、おとなしい人、おしゃべりな人、じっと考える人など、いろいろな感性や背景をもっている学生たちが集まってくれることに青山先生は期待している。
「活発に意見交換ができたらいいのですが、私は高校・大学・大学院を通してあまり目立つタイプではありませんでした。だから、おとなしい人に対してもこちらから声をかけ、彼らのよさを少しでも多く引き出してあげたいと思っています」。こう話す青山先生は、教員と学生の距離が近いといわれる日本文化学科で、実年齢でも最も学生たちとの距離が近い先生だ。
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